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人生の醍醐味はこれから! ~ 昔、読んだ五木寛之の本

ブログ 2013年08月23日

2013-08-23

朝風呂をでたあとの体の乾きが早くなってきた。カモメのイラスト

夏の蒸し暑さが朝のひと時だけは幾分和らいできたようです。

もう蝉の声も聞こえない。

朝の耳に聞こえてくるさざめきもしーんとしてきたようです。

立秋の日から2週間ばかり過ぎて、夏の峠も越えたのかなと思う静かな今日の朝でした。

峠を越えた・・・ふと使ったこの言葉。

この言葉で思い出すのは、5年ほど前に読んだことがある本のことです。

当時、読んでいてハッとして、何かに気づかせてくれた一節を思い出します。

(林住期 五木寛之 幻冬舎文庫)

古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。「学生期」、「家住期」、そして、「林住期」と「遊行期」。「林住期」とは、社会人としての務めを終えたあと、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第三の人生」のことである。

季節の移り変わりは、春・夏・秋・冬であらわす。方角は、東・西・南・北に分ける。ものごとの進み具合を、起・承・転・結という。四分法というのは、いかにも自然な区切りである。そのように、人生をかりに百年と考えてこれを四つに分けてみると、まず第一期にあたるのが、生まれてからの二十五年だ。
さらにそのあと二十五年生きて五十歳。ここまでを前半生と考えていい。それに続く二十五年が第三期となる。五十歳から七十五歳までの時期だ。そこから最後の二十五年が始まる。計、百年。百年生きる、などと大げさに考えなくてもよい。まあ、八十五年の人生と覚悟するあたりが現実的だろう。

五十歳から七十五歳までの二十五年。その季節のためにこそ、それまでの五十年があったのだと考えよう。

鴨長明は五十歳を過ぎて京の町を離れ、自然の中に独り住んだが、彼がそこに求めたのは俗世間の掟にしばられない精神の自由があった。

アスリートにたとえれば、「学生期」に基礎体力を作り、「家住期」に技術を磨き経験をつむ。そして試合にのぞむ。その本番こそが、「林住期」だ。

「人生五十年」というのは、今もむかしも、ある真実を言いあてているような気がしないでもない。それは「人が五十年生きる」ということではなく、現在では、「五十年はなんとかまともに生きられる」という意味にとってもよさそうだ。

月と鈴虫のイラストこうしてふり返ってみると、「人生五十年」という言葉も、残念ながらうなずけるところがないではない。

たしかにむかしは五十年が人間の寿命だったのかもしれない。だが今は百年生きることも夢ではない。しかし、五十年間はとりあえずまともに動くように作られている存在、とおのれを考えれば、あとは口惜しくとも、耐用期限は過ぎたと認めるしかないだろう。

等々。

最後に、巻末の解説、立松和平の一節もよかった。

「林住期」こそ人生のピークであるという考えは無謀だろうか。わたしはそうは思わない。前半の五十年は、世のため人のために働いた。五十歳から七十五歳までの二十五年間、後半生こそ人間が真に人間らしく、みずからの生き甲斐を求めて生きる季節ではないのか・・・。

人生の醍醐味はこれからなのです!

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